国語力とは何でしょうか

今回は国語力について考察していく。みなさんよろしくお願いします

国語力とはいろいろあると思った。以前私は質問共有サイトに「国語力をつけるのに最適なサイトを教えてください」と質問したところ

「国語力を~と定義したら~だけどまあ個人次第っすね」と回答をいただいた。逆張りぽく聞こえたけど、内容はまあ正論でした。

私は国語力とは 入試問題を解ける力 としか考えていなかった。
しかし、実は入試問題を解ける力なんて人生でせいぜい使うのは学生のうちなんで、ごく一部でしかないわけです。というわけで入試問題を解ける力以外のことについて考えていくと、最初に思いつくのは一般的な書物の読解力ですかね。
例えばあるビジネス本を読んだ時でも読解力によって本を買ったことの価値が変わる。
読解力とはある種の人生の武器であると考える。
読解力があれば本が読める。会社の資料でも本質をつける。無駄がないんだ。
よく世間ではあの人はコツをつかむのがうまいんだとかいうが、正直コツなんて言うのは本質を突くのがうまいだけだ。
例えばパワポの資料を作ったときでも、フォントにこだわって時間を浪費するなんてことはしない。
だから、高学歴は本質を突くのがうまいといわれるのだろう。
つまり、読解力が高ければコツをつかむのがうまくなって人生の武器になるってわけさ。
あ、そうだ。本の良さは今後語る予定であるため親愛なる読者にはぜひ期待してほしい。
(一度は言ってみたかった言葉第一位)

次に思う国語力とは、古典に親しむ力だ。

古典に親しむなんているの?いま私たちが生きているのは江戸時代でも縄文時代でもないやで。

とかいう言葉が聞こえてきそうだが、まあ落ち着いてほしい。
古典、というか歴史はかなり大事なんだ。
歴史は未来の基準となる。歴史は高く、広い視点を持つのに役立つ。どんな天才でも歴史を知らなければたかだかありが微生物を見下すのと同じくらいの狭さだ(実際は見下してないだろうけど)
古典に親しむということは、過去から学び、歴史上の偉人と触れ合えるってことだ。
私がやっていたFPSゲームでは成長が止まった時スランプなんて表現するが、人生においてもなかなか成長しないときがあるだろう。そんな時に今の自分を省察して、何をすべきか明確になるのが歴史の良さなんだ。個人主義とも似ているだろうか。

次に思ったのはコミュニケーションを高められることだ。
今ネットではチーという単語が流行っているらしいが、コミュ障はなぜ起こるか知っているだろうか。
まあ極端なその場合は他人とかかわることを極度に拒絶しているのが原因なんだが、他人を拒絶していないのに話すのが苦手な人は他人の気持ちを考えるのが苦手な人が多い。

え?活字と現実世界なんて関係ないだろ?

違います。大いに関係ある。
こういう能力は本当に関係があるんだ。まあこれは説明が難しいが。

というわけで時間が来てしまった(飽きた)ので今回のブログはここら辺にしとく、最後まで見てくれたそこの君!ありがとうございました!

またね~。

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