恣意的読解とは?また入試問題を解けるようにするには?

わたしは暇な時Xをみる。

そこで極めて目につくのは、正しく文を読まずに反論する人である。自分の先入観だけを頼りに文を読解する人である。私は今回この記事を通してそれへの危機感と、意識すべきことを伝えたい。

恣意的読解と客観的読解の違い

まずは、ここでの言葉の定義を確認したい。

恣意的読解とは、自分の恣(ほしい)ままに文を読み、自分の意見を読解にかなり含めているものである。

客観的読解とは、誰が見てもそういえる、その文をそのまま読む方法である。その文だけの情報からいえるものであり、そこに一般論や常識といった、その文からは言えないものを全く問わない読み方である。

ネットで散見される意見のおおくは、ネガティヴな情報(自分に害があると認識し得る情報)に客観的読解をせず、必ずしも正しいといえない自分が知っている知識に短絡的に置き換え、多数にその意見を公開することである。現代ネットの社会では、情報源をたどって調べることをせず、誰かを媒介した不正確な情報をそのまま受け取り、さらにそこに自分の偏った意見を載せ発信するのである。

情報は、どんなささないなものでも、様々な人が情報を受け取り、新たな人へと発信する。そこでは様々な人が情報の媒体となる。そこの誰かが客観的読解のプロセスを踏まないとしたら、その人の強い思想がそのまま情報に移る。知識・経験がない若年層にその意見が目に入ったとき、その意見を鵜呑みにしてしまう人が多数いるのである。

ここには、非常な危険性を感じる。もちろん、誤りないし偏りがあると指摘できる人が年代を問わずいることは事実である。が、しかし、勉強をろくにしない子供たちがネットを使っていることを考えると、指摘する人数と情報を鵜吞みにする人の。外で遊ぶより手軽で楽しい。しかし、それは、情報の取捨選択をする判断基準を学ばずに、とめどなく溢れる情報の渦に飛び入るのである。はたして人として正しく成長できるだろうか。私は居ても立っても居られない気持ちになる。

勉強をすべき、音読をすべき、本を読むべき

今度は具体的な対策を話したい。

結論をいえば、情報の取捨選択をする能力を身につけるためには、勉強すれば良い。

望ましい文の読み方は、客観的読解のうえに恣意的読解があることである。情報を正しく読み、自分の考えを持つ。一つの情報に対して、自分の私見を全く入れないそのままの情報と、その情報に対しての自分の考えの二つの考えを持つことが望まれる。

それはつまり情報の取捨選択である。あなたは得た情報の全てを誰かに伝えることはしないだろう。得た情報の中からなかで、特に印象に残ったり、自分や家族に害が及びそうなことを優先して話す。それが取捨選択である。

取捨選択を、情報が多ければ多いほどしなくてはいけない。だから、とめどなく溢れる情報に処理不足になりがちである。ただ、必要な能力はそう多くない。個別に鍛えていけばよいだけである。

①文を文のまま読解する力

私たちは日本語ネイティブである。日常会話で日本語がわからずに困ると言うことはないだろう。しかし、文を読む力というのは意図的に勉強しなければ身につかない力である。文章について少しく敷衍しよう。

文章というのはピラミッドみたいに、抽象→具体と同じ内容を言い方を変えて、読み手側に伝えようとする。

これは、書き手と読み手もしくは話し手と聞き手との前提(知識、性格、思想など)から生じる話の食い違いを避けるために勝手に身についた物である。

さらに、ここにレトリック(修次)を加えて文章が成り立つ。

例えば、「ボクたちは、技術の進化によって、時間や空間を超越してライブを映像で楽しむことができるようになった。しかし、ライブ会場で感じる情熱・熱気・アーティストへの愛が一瞬一瞬生み出す感動は、そこでしか味わえない。これは、例えばライブの匂い、温度や湿度などを、完璧に再現できるほどデジタルが進化しようとも再現しきれない“生”の魅力である。生きているライブの触感、情熱は、撮影された動画からは感じられないものである。」

わたしはまだまだ初学者であるが、日本語を論理構造から一つ一つ理解するクセをつけてから、圧倒的に勉強効率が上がった。話していて楽しいのである。

おすすめの参考書を紹介させて欲しい。

著;宗慶ニ「宗のたった4時間で現代文」

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文の読み方を4時間だけで学べると言うもの。

文の読み方をぎっしり詰まったもので、何度でも復習でき、映像を見て楽しく学べる良書である。受験生はもとより社会人の方へも有効である。

②処理能力

全てにおいて言えることだが、物事の対処スピードが速いに越したことはない。これは、量が多ければ多いほど言えるものである。

これを鍛えるのに最強なのは、数学を学ぶことだと思う。 

数学というのは、必要な知識が最少で、最大の思考を得られるものであると私は勝手に解釈する。

一つの問題であっても多様な考え方が認められる。もちろん、受験数学ではたくさんの解法を覚えることが強くなるための最短ルートであるといわれることはある。が、もちるん解法を覚えてから思考をめぐらせてもよいのである。暗記数学というのは単純な暗記だけではできないものであるので、解法を覚えているだけでも十分な良さはあると思う。また、よく言われるものは数学には二つのステップがあるというものだ。

①問題から立式する

②計算する

②は軽視されがちであるが、実は計算こそ数学力というものであると思う。立式は簡単にできるが、残りの計算が膨大であるから難問とされる問題はたくさんあるからである。数学が本当に好きな人は、あり得ないほどたくさんの解法を持っていたり、突飛で面白い発想をしたりする。ただ、そうでない人でも計算なら(正確性なら)勝てる部分はあるはずである。発想こそ数学力としたら、そうかもしれないけど、さみしいものがある。

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