私は一つのことを続けることができない。勉強に打ち込もうとしても、結局飽きてゲームやアニメなどに現実逃避をした。そして、そんな自分をずっと忌み嫌っていた。だが、最近その性格?への一つの結論を得た。
右回りしても左回りしても結局距離は同じ
ゴールへ辿り着くまでに、湖を越えなければならない。そんなとき、多くの人は回り道をしなければならないという思い込みをあえてする。それは、自分が誰かと比べて劣ってる優ってるというつまらない妄想を避けるためだ。お恥ずかしい話だが、YouTubeのレスバを本気でやってた頃は落ち着かなかったし、心が休まらなかった、自分の成長には紆余曲折あるし、一次関数ではない。それを念頭に置くことで精神を病むことなく生きることができると思う。
なんでも結局学ぶことはある
人様に迷惑をかけないという前提のもとで、僕たちは学ぶことはあると私は思う。恋愛や勉強、スポーツ、学校行事にはほとんど参加せず、中高の青春をゲームに捧げたとある元プロゲーマーはこう発言した。
「この活動はなんだかんだプラスマイナスでプラスだったと思う。こんな俺らですらよかったって言ってるんだから、ほとんどの人は人生プラスだよ」
アニメを見て、心を魅了する名言に出会う。
小説を読んで、心に色が広がる感覚を覚える。
ゲームをして、根は同じ悩みを抱える同士に出会う。
音楽を聴いて、美しい音色に出会う。
受験生だった僕は、勉強しなければいけないのに、こんな娯楽など、立ち去らねばならないと悩んでいた。思い詰めていた。でも、そう思ってるうちはどうやっても、勉強など手につかない。そんな時は本気でその娯楽とやらをやればいいと思う。それが思いがけない人生の扉を開くことがあるからだ。普通に生きてる人には出会わない友人を得たり、職業を得たりする。大局を見て勝ち負けを判断するべきで、局地的に負けたところで落ち込む必要はないと思う。
天才と比べるな
これは他人と比べるなと最初に行ったがこれには補足がある。受験勉強には、ゴールが必要だ。そのゴールというのは勝負である。他人との勝負。だから、自分の周りと比べた相対的な立ち位置を知ることは絶対必要である。ただそれをしすぎるといけないというだけである。受験勉強を開始するとき、模試のとき、そのくらいでいいだろう。
ここで、見出しだ。なにがあっても天才とは比べてはいけない。湖を越える話をしたが、その湖を真正面から突き進む人がいる。それができる人は大概、大嘘つきか変態である。例えば数学が大好き、数学が彼女という人を真面目に比較対象にしてしまったら身が持たない。敵にしちゃいけないライバルは絶対いるということを覚えておくといいだろう。